Qui est Curnonsky ?
モーリス・エドモン・サイヤン
Maurice-Edmond SAILLAND
筆名:キュルノンスキー
1872年アンジェに生まれる。アンジェの聖モリーユ校で学び、 パリで文学を専攻する。
1900年~1925年にかけて『ル・ジュルナル』紙と『ル・マタン』紙の 記者として活躍。
1907年ミシュランの顧問となり、ドライバー向けガイドの 編集に携わる。
1908年3月2日、ビバンダム(BIBENDUM)というペンネームで、運転手向けに『ル・ジュルナル』紙の「ミシュラン」コーナーと『ラ・ヴィ・パリジェンヌ』紙の 「グルメ欄」に記事を投稿。
1922年にフランス各地の美食をめぐる旅行をし、以降美食関係の著述に没頭する。
1927年5月16日投票によってキュルノンスキーが「食通の王(PRINCE DES GASTRONOMES)」 に選ばれる。
1928年には、「会食者の王(ROI DES CONVIVES)」 になり、同年『美食アカデミー(ACADEMIE DES GASTRONOMES)』を設立。
1956年7月22日パリにて84才で死去。
後世に受け継がれる彼の功績、彼の業績を不滅にするために、美食アカデミーの後援のもと、1953年4月29日に「モリス・サイヤン、レ・ザミ・ドゥ・キュルノンスキー」が設立された。
会長はヴァンサン・プレル、アンドレ・プリナと引き継がれ、1985年からは国立科学研究所研究部長であり元国会議員であったミッシェル・シィが務めていた。
Précurseur du guide gastronomique Michelin
ミシュランガイドの始まり
1908年3月2日、フランスオートモビルクラブ会員であったキュルノンスキーはビバンダムの名前でミシュランが発行する自動車愛好家のためのガイドに記事を書き始めます。
これはミシュランがタイヤを買った顧客に無償で配布していたものが現在のガイドの始まりなのです。ビバンダムは空気を飲む人、という意味でまさにタイヤマンに適したネーミングではありませんか? このように今でいうところのコピーライターとしての才能が豊かで、冷蔵庫やロックフォールチーズ、ジャンルを問わず様ざまな広告宣伝キャッチコピーを作ってきました。
でも、キュルノンスキーの名前はどんなに高額の謝礼を提示されても決して広告には使わなかったそうです。それが晩年の慎ましやかにならざるを得ない生活につながっています。
Prince des gastronomes
選ばれた美食のプリンス
『パリ・ソワール』紙では、定期的に投票によって職業分野各1名のプリンスを選ぶことになっていました。1926年5分野5人のプリンスが決定した時、雑誌「ルボンジットエラボンヌターブル」(Le bon gîte et la bonne table)のピエール・シャペル氏が
「美食の国において美食のプリンスがいないのはおかしい!」
と発言し翌年1927年5月16日に投票が行われ、キュルノンスキーが大票の差で選出されました。ちなみに総投票数3,388でキュルノンスキーは1,823票を獲得したと記録があります。ここから第二次世界大戦までの間美食のプリンスとして多くの書著、記事を残しアカデミーを設立しました。
ミッシェル・シィ国際名誉会長が「キュルノンスキーを語るには世界大戦2回分を振り返ることになる」と本に書いている通り、激動の時代を生きたキュルノンスキー。
戦後、70の齢を超えてもまだまだペンの威力が衰えることなく、無償であっても熱意のままに記事、本を書き続け新たな読者を獲得しました。
1952年、80歳の誕生日に80店舗のレストランがいつでも夕食を無償で提供する、というプレゼントをしました。つまり生涯にわたり「毎晩80席が彼のために用意されている」ということです。そのレストランには以下のようなプレートが付けられました。
「M.Ed.Sailland Curnonsky, Prince des Gastronomes, défenseur et illustrateur de la cuisine française, hôte d’honneur de cette maison」
~ M.Ed.サイアン キュルノンスキー、フランス料理を守り、高らしめる美食のプリンスは当店の名誉あるゲストである~
Le Grand Vefour、Chez Françoise、Le Tailleventでは今もそのプレートは見ることができます。
著書
『美食の国、フランス』(28巻)
『アトラス・ドゥ・ラ・ ガストロノミー・フランセーズ』(1938年)
『アンフォルチューヌ・ デュ・ポ』(1946年)
『フランス料理とワイン』(1953年)
『フランスの地方料理』(1953年)
『文学と美食の思い出』
他、多くの小説と美食家向け書物を著わすほか、戯曲も6作ほど書いている。
キュルノンスキーにプレゼントされた特別な席
1952年80才のとき、80軒の有名レストランが彼を自分の レストランに招待。これらのレストランは、彼のために特別席をいつもキープし、 その席に『食通の王であり、フランス料理の擁護者であり、すぐれた描写者であり、 そしてこのレストランの名誉賓客であるキュルノンスキーこと、エドモン・サイヤン氏』 と記したプレートをつけていた。
Photo : ミッシェル・シィ国際名誉会長と喜代代表理事 キュルノンスキー80歳のプレートの前で(タイユヴァン パリ)
パリにあるキュルノンスキー通り
パリの17区には、「キュルノンスキー通り」と名づけられた道がある。
また1994年3月24日よりソミュールのホテル学校内部にキュルノンスキーの博物館もできた。
レ・ザミ・ドゥ・キュルノンスキーでは、毎年大規模な晩餐会を催している。その際に配られるリモージュ製の皿にはメニューとキュルノンスキーの肖像が印刷されている。
また別の晩餐会も新しいレストラン紹介のために開かれる。